僕たちは、まだやれる
2011年の3月下旬、僕は仙台にいた。
3月11日に発生した東日本大震災の被害は甚大で、特に津波による被害は記憶から消し去ることができない。
地震により、色んなインフラが止まってしまっていた。
僕は、インフラの会社に勤めていたので、その応援で仙台まで行っていたのだ。
地震直後から、先行隊と称して同僚たちが続々と仙台に向かっていくのを、自分には関係ないだろうと半ば他人事のように思っていた。
地震発生から1週間か2週間経ったころ、上司から仙台行きを告げられ、僕は準備に追われた。
ちょうど家を引っ越ししたばっかりで、バタバタしていたように思う。
朝早く、会社に集まり、装備を整え、なんと車で仙台まで行くとのことだ。
半日以上をかけて、同僚と2人、車の運転を交代しながら進んだ。
仙台につくと、猛烈な寒さに襲われた。
3月の気温は西日本とは比べ物にならないくらい、まだまだ寒かった。
仙台の役所が事務所になっているらしく、全国から集まった応援隊がギュウギュウ詰めになって作業している。
半日以上かけて、仙台までようやく到着したかと思うと、そのまま深夜までこれからの復旧計画を立て始める。
災害復旧の経験なんて無い僕にできることはほとんどなく、ただただ緊張してるだけで、ただただ疲れて眠かった。
仙台の被害はひどく、コンビニにはほとんど商品が並んでいない。
飲み物を買うだけでも、自動販売機を探すのも一苦労だった。
ガソリンを入れるために、ガソリンスタンドには、ものすごい車の渋滞が発生していた。
深夜、ずっと並んでいる車もめずらしくない。
ピンチは結束を強める。
それまで、話したこともなかった同僚たちと寝食をともにすることで、どんどん仲がよくなっていく。
ご飯は食べたか?
食べてない。
復旧当初は、まだまだ兵站の準備が整っておらず、お昼ご飯が行き届かないこともあった。
復旧作業は本当に大変で、楽しみといったら食事しかないのだ。
それでも、被害に遭っている人たちの方がきっと大変だと思うと、ちょっとくらいご飯を食べれないくらいは、全然大丈夫だった。
でも、ご飯を食べているかどうか、自分のことを気にかけてくれる人がいると思うと、何だか嬉しかったのを覚えている。
初めは何も出来なかった僕も、きちんと役割を与えられ、全然分からないながらも作業を何とか進めて行く。
すると、どんどん出来る事が増えてくる。
それを周りが認めてくれる。
こんなに嬉しいことはない。
いつの間にか、僕はその復旧隊の中で、頼られる存在になっていた。
嬉しかった。
その仕事の中で、色んな仲間も増えた。
地震という厳しい被害を受けた状況の中でも、僕らはやるしかなかったし、悲しい顔をしてる暇なんかなくて、むしろ周りの明るさに助けられていた。
仙台の人たちは本当に優しかった。
僕の仕事のうちの1つに、復旧作業をするために、いい感じの場所を確保する、というものがあった。
普段は、グラウンドとして使われている場所、学校、どこかの駐車場。
いい感じだなと思う場所を見つけると、その場所が誰が持っているのかを調べる。
電話をしたり、人がいたらアポなしで突撃する。
少しの期間、使わせてもらえないか?
1回も断られることがなかった。
どうぞ使ってくださいと、お金を取られることもなかったし、差し入れを貰ったりもしたと思う。
今、思い出すだけでも涙が出てくる。
色んな家にも行った。
あるとき、お邪魔した家がある。
その家の隣の家に用事があったのだが、その家は留守だったため、どこに行ったのかをちょっと聞くだけだった。
すると、お邪魔した家の人は、親身になって協力してくれた。
おにぎりと味噌汁もくれた。
本当に本当に、めちゃくちゃ美味しかった。
あんなに美味しいおにぎりと味噌汁を、僕はこの先の人生で再び食べることはできるのだろうか?
もしかしたらできないかもしれない。
こんなに優しい人たちに、地震という試練を与える自然に、僕たちは何もできない。
仕事は本当に過酷だった。
毎朝5時には起きて、宿に帰るのは深夜1時、2時はザラだった。
仙台の役所から宿までは、小一時間かかるのだけど、いつも運転してくれる先輩はその日、本当に疲れていたのだと思う。
僕は助手席に座っていた。
信号が赤になったのが。
その信号は、はっきり言ってめちゃくちゃ前方だ。距離にすると数百mくらい前だ。
でも、その先輩は止まった。
数約m先の信号なのに、停車した。
僕は、『?』ってなり、先輩を見る。
起きてる。
起きてるけど、寝てる。
それくらい、みんな疲れていた。
宿に帰って、みんなでご飯を食べ、ちょっと談笑し、じゃ寝よう!と電気を消す。
部屋には6人くらい。
本当に、数秒で眠りについてしまう。
先輩の1人は、たぶん3秒で眠りについていた。
電気を消して3秒後に、いびきが聞こえるのだ。
そのいびきを聞いて、はやっ!!!と思う僕も、その数秒後には眠ってしまうのだ。
宿泊させてくれた宿は、ものすごくいい宿で、普段泊まろうとしたら1泊数万円はするほどの高級旅館だった。
高級旅館なため、お風呂が本当に素晴らしかった。
僕は温泉が大好きだったので、毎日1時間くらい入っていた。
いつも最後の1人になるまで入っていて、お風呂を独り占めするのが好きだった。
そんな中、震度7くらいの余震に見舞われた。
本当に建物が倒れると思った。
地震は本当に怖い。
復旧作業もそろそろ最終段階に入ってきたとき、僕の仕事は過酷を極めだした。
本当に忙しかった。
というか、1人では到底終わりそうにない。
僕の仕事が終わらないと、みんな帰れないのだ。
僕はそれまで、何でも1人ですべきだと考えていて、周りに頼ることをほとんどしなかった。
でも、絶対に1人では終わらない。
その時、僕は周りに頼った。
周りの同僚もクタクタになっているのは分かっていた。
でも、みんなが座っている場所に行って、正直に
『助けてください!終わらないんです!』
と叫んだ。
みんな、全く、1mmも嫌な顔をせず、むしろ、よっしゃ!という顔でOKしてくれた。
僕は、みんなに仕事を割り振った。
自分でやってたら終わる事のなかった仕事は、みんなでやるとあっという間に終了した。
今までの自分の仕事のやり方を見直す本当にいい機会になった。
1人で出来ることなんて、本当に少ししかない。
みんなでやることで、出来る事は増えるし、結束力も高まる。
僕らは、まだやれる。
バラバラなんかじゃない。
僕らは、まだやれる。
苦しい時もあるだろう。
それでも、僕らは、まだやれる。
1人で抱え込まないで。
自分が思っているほど、世界は厳しくなんかないよ。
自分が思っている以上に、周りの人は優しい。
世界は優しさで溢れているんだ。
だから
僕たちは、まだやれる