『涙もろくなった』のではなく、元々涙もろいのに実はそれを我慢していただけなんだ。
最近、父親がテレビを見ながらよく涙ぐんでいる。
こんなに涙もろい人だっただろうかと、ふと思い出す。
自分が小さい頃、父親が泣いているところなんてほとんど見たことがないし、その記憶もない。
年を重ね、父親も涙もろくなったなと感じていた。
しかし、きっとそうではない。
涙もろい人は、元々涙もろいのだ。
泣きたいときがあっても、それを我慢しているだけだということに気づいた。
泣かない人は、どんなことがあっても泣かない。
泣きたいのを我慢するその背景には、その人が抱える責任感やプライドがあるのだろう。
泣けない、今、俺は泣けない。
そう思い、涙を堪える時があったのだろう。
でも、泣いていいのだと思う。
その涙が、涙をこぼすに至ったその感情が、その人の経験になり、弱さをさらけだすことで繋がる思いもあるだろう。
だから、泣くのを我慢する必要はないのだ。
さぁ、泣こう。